こんにちは。小島です。
前回のコラムで、高校卒業と同時にうっかりハコスカを買ってしまったことを振り返ってみましたが、冷静に考えるとあまり一般的ではない初めてのクルマ選びですよね。
これは幼少時代からの人格形成に大きな問題があったかもしれないと思われますので、どんな絵本やテレビに影響されてハコスカに行き着いたのか、さらに過去を振り返ってみたいと思います。
思い返せば物心のついた保育園のころからクルマが大好きでした。日産党でスカイラインばかりを乗り継いだ父親の影響もあったのでしょう。おもちゃで遊ぶといえばミニカーやチョロQばかりでした。
小学校低学年のころは「青い自動車」という絵本が大好きで何回も何回も読んだものです。このディズニーの絵本がね、すごくいいお話なんですよ。あらすじはこんな感じ。
主人公のスージーは新車の小さな青いクーペ、毎日ショーウィンドウの中からたくさんの人の注目を集めています。ある日、一人の青年がスージーを買いました。町中を楽しそうに走り回るスージー、でもそんな日々はいつまでも続きません。スージーは少しずつくたびれて、ある日故障してしまいます。スージーは手放され、中古車として売りに出されました。次のオーナーは乱暴者。調子が悪いスージーをこき使い、スージーを停める場所はいつも路駐なもんだから、ある夜、スージーは自動車泥棒に盗まれてしまいます。パトカーの追跡から逃げるスージー、ついには路面電車と衝突して大破してしまうのでした。クズ鉄同然になってしまったスージーがスクラップ置き場で寂しくしていると、現れたのはひとりの少年。スージーを気に入った様子で、スージーは少年のガレージでぴかぴかに直されてフェンダーレスのかっこいいホットロッドとしてまた元気に走り回るのでした。めでたしめでたし。
「青い自動車」構成・文:斎藤妙子
出典:講談社BOOK倶楽部
どうですか!このお話。まずスージーがかわいい。超かわいい。個人的には映画「カーズ」の原型はこれじゃねーの?って思ってるし、最後の展開なんて「湾岸ミッドナイト」のアキオが解体屋で初めて悪魔のZに対峙する場面がオーバーラップするじゃないですか。あのZも青いクーペだし。「青い自動車」はもう「湾岸ミッドナイト」のエピソード・ゼロみたいなもんですよ。
お子さんをクルマ好きに育てたいお父さんお母さんには、ぜひこの絵本を読み聞かせてあげてもらって、高校卒業と同時にとんでもないポンコツを買ってきちゃうような立派なクルマバカに育てあげてほしいものです。情操教育!
そんな幼年期を過ごした後、小学校の高学年ぐらいになると興味のあるメディアも絵本からマンガやテレビに移行していきます。クルマ好きにとってこの時代の忘れちゃならない作品といえば「よろしくメカドック」でしょう!
「よろしくメカドック」作:次原隆二
出典:ノーススターズピクチャーズ
超有名な作品ですので、詳細は各自で調べてもらうとして、この作品で「チューニング」という単語を覚えました。クルマというのは、チューニングっていうのをすると速くなるんだ!…と。自分の所有する当時のマシン、すなわちチョロQや当時ブームだったミニ四駆、はては初の愛車であるチャリンコでチューニングごっこをして喜んでおりました。
このように、後世クルマバカに育つ基盤は盤石で、中学、高校とクルマ大好きのまま健やかに育っていきました。このころになると生えるものも生えてきて 大人を意識して現実的なことにも興味が湧いてくるもので、F1をはじめとするレースの世界や、町中を走る身近なチューニングカーにも自然と注目するようになっていきました。
昭和と平成にまたがるこの時代は今のようにインターネットなんかなくて、情報源といえばテレビや雑誌だけでした。それなのに、クルマの本質的な楽しさや魅力を伝えてくれる情報量、質ともに今より充実していたように感じます。当時は民放各局で当たり前のようにモータースポーツの番組があったんです。フジテレビはF1やインターテック、テレビ朝日はル・マンや世界ラリー選手権を普通に放映していました。
今でもケーブルテレビやYouTubeでレースの中継を見ることができますが、当時は特別な契約も検索もすることなく、見るつもりがなかった普通の人でもタイミングさえあえばテレビでレースを見ることができました。もしかしたら当時そういうきっかけで新たにクルマに興味を持った人もいるかもしれないと思うんです。もちろんテレビ業界は視聴率を稼がないといけないし、暴走族のような社会の悪を増長する原因にもなりかねないことですから、一概にむかしのほうがよかったとは言えないけど、今クルマ好きが減っているのはこういう“入口”が少なくなったことも原因じゃないかと思います。
クルマ情報番組も、マジメに新車を紹介する堅い番組はもちろん、もっと緩くて楽しいクルマ番組も存在していました。私が特に好きで影響を受けたのは、所ジョージさんがやってた深夜番組「所印の車はえらい」から続く「Daytona TV」「所さんのワーワーブーブー」のシリーズ。クルマの楽しさが詰まっていて今でも心に残っている番組です。
知らない人のためにどんな番組だったのか説明すると、所さんがメイン司会で、クルマにまつわるゲスト芸能人とともに、毎回違うテーマでいろんなクルマを集めてはその楽しさを紹介していくという番組です。あるときはフルオリジナルからフルカスタムまでいろんなコルベットばっかりを集めてみたり、あるいは国産のスーパーチューンドカーを片っぱしから試乗してみたり、平日の日付が変わった後にやる深夜番組とは思えないほど豪華なクルマたちが毎週登場していました。
まんまと所さんに洗脳されてしまった自分は、アメ車やヨーロッパ車にも興味が湧きまくり、あふれ出るクルマへの好奇心を満足させるためにお小遣いでクルマ雑誌を毎月たくさん買っていました。表紙が黄色かった「Daytona」はもちろん、アメ車雑誌の「A-Cars」、「Cal-Magazine」、欧州車寄りの「Tipo」、もちろん国産車も気になるので「J’s Tipo」も買っていました。
こういった雑誌を読むうちに、アメ車のカスタムカー文化、ホットロッド文化って、ボディはざくざく切り刻んじゃうは、なんでもエンジン積み替えちゃうは、自由でおもしろすぎ!特に見た目は旧いのに中身が最新のヤツとか最高!と思うようになったのでした。
一方、1990年代は国産車にとっても華の時代。21世紀の今でも現役で走ってる 名車と呼ばれるクルマが続々と登場した時期でした。なかでも日産は16年ぶりに復活したR32のGT-Rがレースで大活躍。ついにはグループAでは強すぎて実質GT-Rワンメイクになってしまったという最強っぷりでした。
R32 スカイラインGT-R グループA仕様
出典:NISSAN HERITAGE COLLECTION ONLINE
このとき、家のクルマがR32スカイラインのセダンだったので、普段からスカイラインを身近に感じていただけに、うちのとおんなじのが(同じじゃないけどね)テレビの中のレースで活躍しているのはちょっぴり誇らしいものでした。
レースで活躍するかっこいいスカイライン、自然とその歴史的な部分にも着目するようになり、その重要なポジションに存在するのがGC10型のハコスカだということも、中学、高校時代に知ったことでした。ハコスカの詳しい歴史については世の中に情報が充実しているので省略しますが、むかしのレースでの活躍や、羊の皮を被った狼と呼ばれた逸話、設計した桜井眞一郎氏のことを調べるうちに、自分の中でハコスカというクルマへの憧れはどんどん大きくなっていったものの、まさか近い将来に自分がオーナーになるとは思ってもいなかった時期でした。
さて、アメ車のカスタム文化も好きだけど、同時にハコスカにも憧れる中二病真っ只中の少年が妄想すること、ちょっと想像できませんか?実はこのころから、見た目が旧いハコスカのしかもあんまり速そうじゃないセダンに、当時グループAで最強だったGT-RのRB26DETTとか積んじゃったら、日本製ホットロッドみたいでかっこいいよなぁ!たまらんなぁ!!と妄想だけはたくましくしていたのです。
でも当時は、そんなこと現実には誰もやってないし、日本は法律が厳しいから絶対無理なんだろうなーと漠然と思っていました。そんなことよりバイトやら大学の受験やら免許も取らないといけないしと、目先の高校生活にかき消されていたのでした。
というわけで、このあと前回コラムの旧車ショップさんで実物のハコスカと出会うことになります。次回のこのコラムでは、私のハコスカが現在どんなことになっているのかご紹介したいと思います。
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第5回 ハコスカ エンジン換装編
第4回 ハコスカ ボディ補強編
第3回 ハコスカ、何をいじったの?
第2回 ハコスカ乗りが出来あがるまで
第1回 ハコスカとの出会い
免許を取ってからずっとハコスカ乗ってる人。足車はジムニーだが、これもジムニーばかり3台も乗り継いでるという重篤な症状を持つ。ハコスカとジムニーだけという偏った車歴ながら、スポーツカーから働くクルマまで、クルマ全般が大好きなおじさん。1977年生まれ、神奈川県出身。