レース専門のライターさんは、近頃みんなこう言います。「筑波に行ったの、いつ以来だろう」って。そうでしょうな、もう全日本選手権は行われていませんし。F3の最後が2004年、ツーリングカーだと、もっと前で1994年。ずいぶん経ちますね。なんとも東京から近くて遠いサーキットになっちゃったようです。でも、私にとっては今でも近いサーキットで、今年3回行っちゃいました(笑)。あ、もうひとつ言われるのね、「モツ定、また食べたいなぁ」って。筑波の中にある食堂のモツ煮込み定食なんですけど、これが絶品! ただし、今回は「オーダーがたまっちゃって、今お出しできないんですよ」って言われてしまいました、残念。
てなわけで「日本全国からお届け!」シリーズを、今回は筑波編としてやろうかと思ったんですが、それはまた改めて。ここはレースシリーズの組み方が、ちょっと他のサーキットとは違うんでね。長くなりそうな気もしますので、別の機会に書かせていただきます。そんな筑波サーキットに関して、思ったことを今回は……。
まず感じたのは、久々に筑波で耐久レースを取材したんですよ、VITA-01とLegend Carの。ここで耐久レースって私には、たぶん1994年のN1耐久が最後じゃないかな? そのぐらい、久しぶりだったんですけど、まぁ参った。大変すぎました。なにせ、1分ちょっとで回ってくるじゃないですか、慌ただしいこと、この上なかったですね。たかだか24台、2クラス混走で、150分間なんですよ。昨今のスーパー耐久に比べれば、「たった」という数字なのに、最初の数周、ついていけませんでしたね。
ここのプレスルームは、コースから近いのはいいのですが、見える範囲がいたって狭いので、目視でラップチャートをつけられるタイミングがごく限られるんです。通過していくスピードはそんなでもなくても、これが実に大変で……。よく、そこそこの台数がいて、しかも最長12時間ですよ、「頑張っていたなぁ」と、かつての自分を褒めてやりたいです。まぁ、あの頃は速報スタイルでもなかったので、のんびりやれていたのもあるんでしょうが。
あと、ドライバー交代や給油のシステムも独特だったんで、それが難しくなった理由でもありました。昔はドライバー交代も給油も、ピットロードでやっていたんですが、今の安全規定では狭すぎて危険だということなんでしょうね。また、給油装置の準備も大変だろうってことで、ピットロードの先、そのイン側にあるガソリンスタンドで給油。はい、あらかじめ購入してあったチケットを渡した後、皆さんもご存知のノズルでガソリン入れちゃうという。で、そのあとにパドック内に導線を設けて、ドライバー交代が行われます。
レーシングカーがドライバーともども手押しされて、しかもレース中って、あんまり見ない光景でしょう?
こういうのも最近は珍しくないのかもしれませんが、私にとっては非常に新鮮で。しかも、余裕を持って一連の作業をやってもらおうということで、どれだけ素早く作業をしようとも、「8分間はパドックに留まっていなさい」と。でも、筑波の8分と言ったら7〜8周分に当たるわけで……。その間にガンガン順位が入れ替わる(笑)。そのへんも取材が大変だった理由でもありました。入ってきたタイミングでガソリンスタンド渋滞ってこともあり得るわけで、それはまぁ運も実力ってことで。このパドックを有効に活用するってスタイル、昔だったら絶対に無理でした。というのも、クルマも人も満ち溢れていたから。言っちゃ悪いですけど、閑散としているからできるし、思いついたアイデアなんでしょうけどね。
コースそのものは変わらないけど、いろいろ変わっちゃったなぁ……と思う反面、変わらないのは最初に書いた食堂と、正式表彰をVIPルームできちっとやること(ただ、こないだのレースに関して言えば、暫定表彰を決勝中にやるのは、本当にどうかと思う)。それと「おぎ姉」のアナウンスだなぁ(とヨイショ!)。実際、マシンガントーク絶好調だったし、ほぼ同じ時代を過ごしてきたから、思うところは一緒だと思うんです。昔との違いは感じているからこそ、せめてアナウンスだけでも、って絶対。あの頃の賑わいはもう、戻ってこないかもしれないけど、お互いやれることはやっていきましょうね、「おぎ姉」!
こうやって見える風景そのものは、何も変わらなくてもね〜。
モータースポーツジャーナリスト。大学在籍時からモータースポーツ雑誌編集部に加わり、90年からフリーランスに転身。以来、国内レースを精力的に取材。本当に力を入れたいのは、非メジャー系レース。特にエントリーフォーミュラのスーパーFJに関しては右に出る者はいないが、並ぼうとする者もいないのが悩みの種?スーパーGT(主にGT300)とスーパー耐久は全戦取材を予定。6月14日生まれ、東京都出身。