気がつけば、このコラムも250回目ですよ! よくここまでたどりついたなぁと、つくづく思います。ほぼ5年間やっているわけですよね? 前にも書きましたけど、このコラムが始まる前に携帯サイトでも似たようなのをやっていて、それがちょうど200回で終わっていました。なので、目標を200回と勝手に決めていたので、大幅な更新になります。どこまで続くのかな?
ついでに言うと、今年は私にとって業界35周年にもなります。まだ学生の頃、編集部に転がり込んでから、まさかこんなに月日が経つとは! 当時、そうなるとは思っていなかったというより、何にも考えていませんでしたね(笑)。その前にやっていたバイトなんて、1か月でやめましたもん、それもふたつも。最初はスーパーのレジで、次はガソリンスタンド。いずれも人間関係がわずらわしくて辞めました。なのに、3番目の仕事がこんなに続くとは!
もともとレース好き、雑誌好き、写真好きでした。全部きっかけはスーパーカーブーム。まぁ、35年目とスーパーカーブームで、だいたいの年齢に察しがつくでしょうが、一応年齢不詳ってことで(笑)。それはともかく大学に入っても何の志もなく、しかもバイトはすぐ辞めちゃうというダメっぷり。誰です、「今も変わらないじゃん」って思った人! そうなんですが、質が違ってます、今と昔は。そうそう、ひとつだけ志がありました。レースを予選から見たいから、土曜日の授業は採らないっていう、今思うと何じゃそれっていう。
そんな時に、今はなくなった「オートテクニック」という雑誌で写真整理のアルバイト募集があったんです。それで一も二もなく、すぐに履歴書を送って。すぐに返事があったわけじゃなかったので、他の人に決まっちゃったんだろうな、って頃に連絡があって面接に。その時に、「編集にも興味があります」とか、いろいろ熱意を語ったような記憶がありますが、それ自体は小僧の語ることだから、大したことじゃなかったでしょう。後に「履歴書の字がきれいだったから」と、採用の理由を聞かされました(笑)。
今、当時の本を引っ張り出して、どういう募集内容だったか確認したら、むしろ写真関係の方で、編集の手伝いとは一言も書いてありませんでした。でも、そうやって編集部に居着いちゃって、オートテクニックは4年やりました。ってことは、もう大学も卒業しちゃっているんですね。奇跡的に留年せずに済んだので。で、「卒業しても使ってもらえますよね?」って編集長に聞いたら、いいよって返事をもらえたので、そのまま。なので就活とか一切やってません。いつまでもバイトじゃ気の毒だってことで、卒業してから半年ぐらいしたら契約社員にしてくれましたが、手取りは減りました(笑)。確信犯だな、あれは間違いなく経理の。
そうしているうちに、「スピードマインド」って雑誌が創刊されることになり、異動になったんですけど、その頃すでに社員ではないので、本業に支障を来さぬ範囲で他の仕事もやっていたんです、主にプログラムを。雑誌のレイアウトをするデザイン事務所がそっちの仕事もやっていたので、私に仕事を回してくれたんです。そういうのがいくつか広がり始めたのもあって、3年過ぎた時に「そろそろフリーになれば?」って編集長に言われまして、ホイホイと(笑)。それが1990年のことですから、再来年でそっちも30周年となります。
食っていけるかどうか、そんなことは全然考えていませんでした。実のところ、フリーになってしばらくは自宅で仕事していましたから、取材経費ぐらいしかお金はかからなかったんで、なんとかなるだろうと。ただ、今もそうですけど、取材には毎週のように行っていましたし、当時は雑誌が山ほどありましたからね。当然、編集部の知り合いも多かったので、予想していたよりはるかに多くの仕事を、辞めてすぐいただけました。
仕事した雑誌は送られてくるじゃないですか? すると、どんどん手狭になっていったので、やがて近所に仕事部屋まで借りることになります。風呂なし2Kの平屋で、家賃5万7千円! ここ、素晴らしく居心地良かったんですが、大家が突然建て替えるって言い出して、別なところに移ることになります。で、仕事は順調。F1ブームでしたから、私は関係なかったんですけど、大御所たちがそっちに回って国内レースの仕事が私に……って感じでね。「スキマ産業です」なんて言っていたなぁ。あの頃、いちばん調子良かったというか、確実に調子こいてました(笑)。
モータースポーツジャーナリスト。大学在籍時からモータースポーツ雑誌編集部に加わり、90年からフリーランスに転身。以来、国内レースを精力的に取材。本当に力を入れたいのは、非メジャー系レース。特にエントリーフォーミュラのスーパーFJに関しては右に出る者はいないが、並ぼうとする者もいないのが悩みの種?スーパーGT(主にGT300)とスーパー耐久は全戦取材を予定。6月14日生まれ、東京都出身。