久々の休みでした。正確に言うと、久々にウチにいる週末ということになり、もっと正確に言うと5月6日もウチにいましたが、これはGWの終わりであって、4日まで富士にいたし、仕事もしていたからノーカウントとします。まぁ何はともあれ2月18日からテストも含めて、週末は必ずどこかのサーキットにいて、25週連続だったことに改めて気づく。世間はお盆で、少なくても四輪レースは全国どこでも開催されていないので、行こうにも行けなかったのです。
ちょうど仕事も途切れて、自由の身。だからって、何しようか思い浮かばないのであ〜る。東京のお盆は7月なので、もう先月済ましちゃったしなぁ。金曜日は、まずこのコラムのネタについて考えていました。嗚呼……、何も浮かばない。土曜日も浮かばない。どこか行ってネタを拾おうにも、外は暑いし、ゲリラ豪雨みたいなのもやってくるし。仕方なく片付けなどしていたら、出て来た1冊のプログラム。1990年の「ミリオンカードカップレース ファイナルラウンド鈴鹿」であり、全日本F3000選手権シリーズ最終戦だから、実に28年前のものです。
いや〜、実に思い出深い。ちょうど私がフリーになった直後の、制作にも少し携わったプログラムなんですよ。携わったと言ってもサポートレースの原稿書いて、最後の出張校正を手伝ったぐらいですけどね。この頃は本当に緩かった(笑)。仕事はまだ雑誌だけの時代ですから、取材が終わったら、それでひとまず完了。すぐ原稿書かなくてもいいわけですから、レース終わった後に大阪に飲みに行っちゃったりして!
ましてフリーになったばかりでしたから、このレースは確かあいさつ代わりみたいな感じで行ったんだと思います。だから、思い出深いんですけど、どのレースもどんなだったか少しも覚えていません(笑)。だけど、このプログラム、何がすごいってまずはエントリーリスト。F3000に32台もの参加があって、しかもほとんどのドライバーがTカー持ち込んでいるんです。今、Tカーって死語になりましたよね〜。簡単に言えばスペアカーですけど、昨今では禁止になっていますから。で、持ち込んでるって言ったって型落ちだろう、ぐらいに思っていましたが、新車2台のチームもけっこうある!
こういった記憶が欠如しちゃっているから、ある意味新鮮でもあります。「壊してもいいから、行っちゃえ!」って、いかにバブルの時代だとはいえ、そういう感じだったんでしょうね。顔ぶれもすごいなぁ、すでに鬼籍に入られた方もいる一方で、未だ現役なのが松田秀士選手。ミニチャレンジに出ておられますよね。今、あの頃のような景気だったとして、トップカテゴリーに32台も出たもんかな? そりゃ、ちょっと分からないですね。
で、当時の私にとって、メインカテゴリーだったFJ1600。あ、今と一緒か(笑)。これのエントリーが70台。決勝出走台数32台とありますから、半数以上が予選落ち。多くのドライバーが土曜日で、もう肩を落としてサーキットを去って行ったんですね。タイムスケジュールを改めてみると、F3000の後に決勝が。そうだ、そうだ、だから「裏メイン」なんて言い始めたんだよなぁ。「いちばん面白いレースは最後なのだぁ」とか言いつつ、他の人たちはF3000の記者会見行っているから、見ているのはほんの数人なんですけど。
これ最後だった理由は、サーキットを去るお客さんの流れを分けようという配慮だったみたいです。でも、お客さんはそれなりに残っていてくれてね。「う〜、ありがたや、ありがたや」なんて思った記憶だけは残っています。で、プログラムに戻るんですけど、この時代って改めて思うのはドライバーが決して若くない。10代は、このレースでポールポジションを奪った光貞秀俊選手だけで、ほとんどが20代半ばなんですね。かといって上も40歳の方がひとりいるだけで、30代の方も数えるぐらい。まだスカラシップとかない時代ですから、若者が免許取って頑張って働いて、お金が貯まったところでようやくデビューって感じだったのが、よく分かります。あ、この頃は借金自慢もドライバーのネタでしたよね!
最後にシビックレースのページを……。この写真、すごく隊列整っているから、デザイナーが選んだそうなんですけど、印刷されたものを見て、みんなで大笑い。よ〜く見ると、ポストから赤旗が出ていて、先頭のドライバーも手を出しているんですよ。時代はまだフィルム、ルーペで見てピントだけはちゃんと確認していたようですが、そこまで気づかないですよね!
モータースポーツジャーナリスト。大学在籍時からモータースポーツ雑誌編集部に加わり、90年からフリーランスに転身。以来、国内レースを精力的に取材。本当に力を入れたいのは、非メジャー系レース。特にエントリーフォーミュラのスーパーFJに関しては右に出る者はいないが、並ぼうとする者もいないのが悩みの種?スーパーGT(主にGT300)とスーパー耐久は全戦取材を予定。6月14日生まれ、東京都出身。