速報でも紹介しましたが、GR 86/BRZレースのクラブマンシリーズで最終戦を待たずして、チャンピオンに庄司雄磨選手が輝きました。ここまでの8戦で3勝を挙げて、表彰台に立つこと、実に6回! まさに速さと安定感を兼ね備えた新チャンピオンの誕生と言えるでしょう。ただ、どんなドライバーなのか、皆さん案外ご存知ないんじゃないかと。
1993年7月25日生まれで大阪出身。ってことは25歳。今までどんな経歴だったのかというと……。
「カートをやっていました。14歳から18歳まで。KTでチャンピオンを獲って、その後にオートバックスの全国シリーズに出ていました。同じレースに出ていた、今残っているドライバーは平木湧也とか高橋翼、海外でやっている笠井崇志なんかです。成績は最初のうち、対応できずにビリとか走っていたんですが、徐々に上げていって最後、鈴鹿で2番でした。シリーズは真ん中ぐらいだったと思います」と庄司選手。18歳になって免許も取れるんだから、次はフォーミュラというのが、まぁ成り行きなんでしょうが……。
「ええ、ステップアップするにはお金が足りなかったんです。それで勉強も兼ねて、自動車整備士の学校に行って、2級整備士の資格取った時に、吉本さんにたまたま出会ったんです」
それが21歳の時。吉本さんというのは、スーパーGTで活躍中の吉本大樹選手のことですね。実はそれから間もなく私、吉本選手に庄司選手を紹介されてます、まだレースデビュー前に。で、やがて86/BRZレースに出場することになるんですが、1年目の2016年は、「ああ、出ているんだなぁ」ぐらいの印象でした。今、改めて調べると、それなりに入賞はしていたんですけどね、申し訳ない(笑)。しかし、翌17年の第3戦、富士でいきなり初優勝を飾って、「あん時の!」ってことになりました。ただ、この年の衝撃は、この一発だけ。それがどうでしょ、今年のブレイクぶりは! 経験を重ねて、いろいろ努力して速さを増したんでしょうね。
で、吉本選手にたまたま出会った、なんて言っているけど、問い詰めてみたら違った(笑)。
「僕の地元は大阪の南の方なんですけど、吉本さんのHYスピードという会社、泉佐野にあって、クルマで10分、15分のところで、吉本さんの会社って分かって僕はバ〜っと行ったんですよ。『こうやってレースやってます』って猛アピールして、吉本選手に可愛がってもらえるようになって、今に至ってます。だから、たまたまというより、押しかけて吉本選手を口説きました(笑)。レースない時には、いつもHYスピードにいて、メカニックもやってます」って庄司選手。すごいバイタリティだけど、秘めたるポテンシャルを見抜いた吉本選手もすごい!
というわけで、冒頭で触れたとおり早々にチャンピオンを決めたわけですが、レース後、大喜びしているかというと、案外そうでもなくて。
「勝って決められたら、もっと良かったんですけどね。前半のレースの持っていき方、まだまだ自分の未熟な部分、先を見据えて走れなかったことを後悔しています。後半のことを考えずに攻めていたんで、僕に未熟で、自信過剰な部分があったと思います、今回のレースに関しては。自分のコントロールは、今後の課題ですね。プロシリーズに行ったら、それが当たり前になってくると思うので、今のうちからちゃんと勉強して、出た時にはすぐできるように、いろいろ考えていきたいと思います。ただ、結果としてチャンピオンを獲れたのは、すごくいいことだったと思います」と庄司選手。きっと2位での決定だったからこそ、そう気づいたんでしょうね。決して浮かれていませんでした。
その言葉にあるとおり、来年はプロフェッショナルシリーズに移行のようだし、吉本選手いうところの「レーシングドラニック」として自らメンテナンスを行い、併せて出場しているFIA-F4でも、結果を残してくれることを期待します。
モータースポーツジャーナリスト。大学在籍時からモータースポーツ雑誌編集部に加わり、90年からフリーランスに転身。以来、国内レースを精力的に取材。本当に力を入れたいのは、非メジャー系レース。特にエントリーフォーミュラのスーパーFJに関しては右に出る者はいないが、並ぼうとする者もいないのが悩みの種?スーパーGT(主にGT300)とスーパー耐久は全戦取材を予定。6月14日生まれ、東京都出身。