岡山チャレンジカップ最終戦に行く予定だったんですが、仕事がキャンセルになったため、行かないことにしたのは以前にも書いたとおり。行けば行ったで、確実に収穫はあったんでしょうけど、東京から岡山というのは交通費だけでもお察しください。それならば、ということでニスモフェスティバルへ……とも考えましたが、週末は出っ放しだったこともあり、「たまには休もう!」と決断。久々にダラダラとした週末を過ごさせていただきました。
で、その前の金曜日。これがまた忙しかったから、休みにしておいてよかったんですけどね。午前中にプレイドライブの仕事を久々にいただいて、ジムカーナチャンピオンの取材をしてから、午後からJAFモータースポーツ表彰式第一部のYOUTUBE放送の解説の手伝いなんぞをして。第二部は再びプレイドライブの取材に戻るという感じでした。なんでジムカーナを今どき私に……とは思いましたが、編集長曰く「昔を知っている視線で、また見て欲しいので」ということだったけど、真実は違うな(笑)。レギュラーのライターさんがいなかったもん。
とはいえ、これがなかなか楽しかったんです。9人のチャンピオンのうち知っている人が5人。かつて取材していた頃の人が今でも健在で、しかも強いという現実。全日本ジムカーナ選手権が1992年に初めてシリーズ化されて、その1回目に出ていて今も休むことなく現役っていう人が8人しかいないのに、うち5人がチャンピオンってすごい話ですよね。
まぁ、1戦目は九州のオートポリスだったから遠くて出場を控えた方もいるでしょうし、「全日本選手権にはもう出ていないけど、地方選手権にはまだ出ていますよ」っていう人もいるでしょうから、実際にはもっといてもおかしくないんだけど、まぁ数えられる程度でしょうね。しかも、その8人はその前からやっているわけですから、みんな30年以上のキャリアを持っているわけです。まさに「継続は力なり!」ですね。
ジムカーナを離れてから、もう20年ぐらいになるのに「久しぶり」とか「たまには来てくださいよ」って言ってくれたのがありがたくて、しかも初めての人でも当時の感覚で取材できたのは、我ながら驚きましたね。そういえば、ここ何年か引退された方とよく会うんですよ。家族とか仲間がレースを始めたんで、サポートでサーキットに来ている方にね。
そういうご縁もあるから、やっぱ行かなくちゃいけないのかな。行くからにはちゃんと仕事にしたいと思う反面、ネックはスケジュールなんですよね。今年は完全にレースだけだったんですが、それでもテストは含まず38イベント。レースが何もない週末に、うまいこと全日本ジムカーナがはまらないんですよ。まぁ、何も全日本じゃなくてもいいわけでね。来年はローカルイベントでも関東であるなら、行ってみたいと考えています。
しかし、ジムカーナを本格的に取材していた当時は、あの競技って2ヒートじゃないですか。第1ヒートをコースに出て全車撮影して、それもバリエーションつけられるように。第2ヒートは後半ゼッケンの有力どころをパドック側から撮影した後、ウィナーに話を聞くというのをやっていましたから慌ただしいこと、この上なし。しかも当時ってまだデジカメなんて存在していないから、フィルム代とか現像費もすごくかかりました。よくやっていたよな〜と思う反面、速報じゃなかったんで、その意味ではそう大変ではなかったです。今だと最初にやるのは、原稿書きですけど、当時は現像所にフィルムを持ち込むというのが最初の仕事でしたね(笑)。
そういえば、今回の取材で四半世紀経って、分かった真実がありました。当時はなんとも思わなかったんですが、つい最近、山野哲也選手の1勝目の写真が欲しいという依頼があって、必死の思いで見つけた時、ふと気づいたんです。「なんだ、この不自然な四つの枠」って。で、本人に聞いたら「四文字のスポンサーがつくことが決まっていて、そのスペースを確保するため」だったんだそうです。まわりに人もいたんですが、ふたりだけで盛り上がって。歴史を重ねるって、いいことだなと改めて思いました。
リヤフェンダーの上。なんか不自然でしょ(笑)。
モータースポーツジャーナリスト。大学在籍時からモータースポーツ雑誌編集部に加わり、90年からフリーランスに転身。以来、国内レースを精力的に取材。本当に力を入れたいのは、非メジャー系レース。特にエントリーフォーミュラのスーパーFJに関しては右に出る者はいないが、並ぼうとする者もいないのが悩みの種?スーパーGT(主にGT300)とスーパー耐久は全戦取材を予定。6月14日生まれ、東京都出身。