令和2年、すなわち2020年がいよいよスタートしました。遅ればせながら、あけましておめでとうございます。オリンピックイヤーである今年は、モータースポーツにも少なからず影響が及びそうで、それが良い方に転がるのか、悪い方に転がるのか見当はつきませんが、まぁ良くなると思いたいものです。
少なくてもスケジュール的には変化もあって、去年から再開した全日本ジムカーナ取材は、S耐やGTとのバッティングはそう多くなく、半分以上行けそうな感触でしたが、86/BRZレースとのバッティングがすさまじく頭を抱えています。ローカルレースも最低でも年イチぐらいは……と思う私にとって、86/BRZレースは好都合だったりするんですが。困っています。
あと、オリンピックの自転車競技の会場となることで、富士スピードウェイで夏のレースが開催されないことで、富士チャンピオンレースは全4戦で競われます。併せて行われるインタープロトシリーズやKYOJO-CUP、FCR-VITAは1戦、鈴鹿で行われるようですが、その他の4戦すべてで行われるかは不明なので、ちょっと物足りなさはあるでしょうね。ひとつ気になるのは、JAFモータースポーツのカレンダーに、スーパーFJの富士シリーズの記載がないこと。JAFの地方選手権は3戦で成立しますから、大丈夫なはずなんですが、去年は台数も少なかったしなぁ。その富士のGTが1戦減になるため、海外戦がタイとマレーシアの2回になったのは、ご存知のことと思われます。
話は変わりますけど、なんか例年以上に年越した感がないんですよね〜。もちろん紅白は見ましたし、初詣もしましたが、なぜか。よ〜く考えてみたら、ちゃんとした忘年会には一度も呼ばれなかったし、正月も会ったのは身内だけ。仕事納めもいつになく早かったし、新年の仕事始めは、このコラムですよ。なんか人気ないな(笑)。今年は知名度を上げようと、心に誓ったものです。
なんて呑気なことを書いていたら、突然悲しいお知らせが。ウエストレーシングカーズの神谷誠二郎代表が年末にお亡くなりになったとのこと。療養中だとは聞いていましたが、昨年の日本一決定戦には姿を見せていたので、快方に向かっているものと思っていました。その時も言葉は交わせなかったのですが、一緒に写真に収めていただいたのが、最後の思い出に。
単にレーシングカーを作るだけでなく、カテゴリーを創設してきた方でした。FJ1600やスーパーFJ、JAF-F4は言うに及ばず、RSやザウルスジュニア、近年ではVITAとCS2。ハコ以外のレースほとんどは神谷さんがスタートに関わっていて、あの行動力や発想がなかったなら、今どうなっていただろうかと。
とにかく日本のレース界を底辺から支えてくれました。誰よりもモータースポーツの発展に尽力されて、功績は多大です。個人的にも大変お世話になって、思い出はそれこそ数え切れないほど。
いつも明るく元気で前向きな、神谷さんの笑顔がもう見られないと思うと、残念でなりません。心よりご冥福をお祈りします。そして、おつかれさまでした。
モータースポーツジャーナリスト。大学在籍時からモータースポーツ雑誌編集部に加わり、90年からフリーランスに転身。以来、国内レースを精力的に取材。本当に力を入れたいのは、非メジャー系レース。特にエントリーフォーミュラのスーパーFJに関しては右に出る者はいないが、並ぼうとする者もいないのが悩みの種?スーパーGT(主にGT300)とスーパー耐久は全戦取材を予定。6月14日生まれ、東京都出身。