危ないところでした。前回のコラムで、VITAのタイヤテストに行く、なんてことを書きましたが、1週間間違えていまして。その日は母親の手術で、といっても日帰りのごく簡単なものだったんですが、終わったら迎えに行くというのを思い出し、改めて確認していたら、違っていたと。気づいて良かった! 行ったら関係者は誰もおらず、ポカ〜ンとしていたという光景が思い浮かびます。
まぁ、筑波だったらモツ定食べて、まぁいっか……って帰ってきたんでしょうが。実際のテストは今週末なんですが、それには行けません。ていうのも、今週末はジムカーナの関東シリーズの取材なので。地区戦の取材は本当に久しぶり。さすがに全日本とは違って、昔のドライバーはもういません。あ、いる。主催側に(笑)。そういった意味では旧交を温められそうですが、取材そのものは不安だらけ。まぁ、なんとかなるでしょ。
富士スピードウェイで開催されるんですけど、ここのジムカーナコースでの取材初めてです。昔のコースならあるけれども……。Cパドってご存知? 正確にはCコースなんですけど、今のどこかというと、東ゲートのあたり。当時はサブゲートと呼んでいた、あの場所です。ついでにいうと、今の東ゲートの向かいに予備駐車場っていうのかな、広場みたいなのあるじゃないですか? あそこはダートラのコースでした。
Cがあるなら、当然AもBもあるわけで、Aコースは当時の最終コーナーの内側。で、Bコースは今のP19駐車場で、あそこに当時は車検場がありまして、その脇にありました。どっちもそんなに広くはなかったので、もっぱら地区戦はCコースで開催されていました。そもそも、サブゲート自体、もう覚えている人も少ないでしょうね。当時からゲートとして機能していなくて、通りがけにチラッと見たぐらいの印象なんじゃないでしょうか。
今、思うととんでもないコースではありました。全体にゆるく傾斜がかかっていて、なぜか真ん中に島があったんです。路面も創業時のままなんじゃないかってぐらい、荒くってね。今の競技用タイヤだったら、あっという間にすり減っちゃうじゃないかってほど。でも、当時のジムカーナにとっては、聖地みたいな場所でした。なんせ関東には他にコースがなかったから。関東の地区戦は富士と、新潟のスキー場の駐車場しかない時代です。改めて考えると、もう30年以上前の話なんだなぁ、懐かしい(笑)。
厳密にいうと、静岡なんだから関東じゃないんだよなぁ。まぁ、他にないんだから仕方ないって……、週末行くのも関東の地区戦じゃん? 細かいこと言うな、って話ですね!
ところで、ここまで書いていて、ふと思ったのは、写真どうしようって。もちろん、当時は写真も撮っていましたが、当然編集部の管理であって、その会社もなくなっちゃった(笑)。引きで撮った白黒の紙焼きが、確か1枚あったはずなんだけど(たぶん自宅に仕事を持って帰って、でも使わなかったんだろうなぁ、その写真)、そういうのはひょっこり出てくるものであって。しょうがないから、当時私乗っていたクルマの写真を……。
これ、「かっとびスターレットのねじ伏せ方」って単行本の表紙なんです。このクルマ、ちゃんと撮った写真も全部、編集部に置いてきちゃったんで、しかたなく。数年前、こんな本あったよな……って検索したら、1円って(笑)。送料の方が高かったんですけど、買ったんですね。で、今調べてみたら、ほぼ見つからない。でもメルカリで、580円でSOLDとあるから、その金額で売れたってこと? だったら私も出品してみようかな(笑)。
モータースポーツジャーナリスト。大学在籍時からモータースポーツ雑誌編集部に加わり、90年からフリーランスに転身。以来、国内レースを精力的に取材。本当に力を入れたいのは、非メジャー系レース。特にエントリーフォーミュラのスーパーFJに関しては右に出る者はいないが、並ぼうとする者もいないのが悩みの種?スーパーGT(主にGT300)とスーパー耐久は全戦取材を予定。6月14日生まれ、東京都出身。