RSが今年で終了とのこと。今では鈴鹿クラブマンでのみ行われているレースで、そのことはあらかじめ知ってはいたんですが、いざ現場で見てみると複雑な心境になりますね。なんて言うんでしょうかね、そこにあり続けるもの……という印象もあったので。かなり寂しくもあります。
RSって何の略称かというとレーシングスポーツで、実は歴史もすごく長いんです。始まりは1983年で、当時は筑波と鈴鹿が舞台。名称は異なっていて、筑波がRJで、鈴鹿がSJ。それぞれレーシングジャパン、スポーツカージュニアの略称です。最初に作られたのは御多分に洩れずウエストのクルマで、シャシーこそ一緒だったんですが、カウルが違っていました。
だからRJではウエスト83Sなのに、SJでは83SIIってね。なんで別々だったのか、今となっては亡き神谷誠二郎さんに聞いておけば良かった、って後悔しているんですけど、これからもそういうことがあるんでしょうね。たぶんRJは筑波のJASCが企画したレースなので、当初は独占権みたいなのがあったんだと思います。それにSJは乗っかっちゃったんじゃないかと。
なので、RJはしばらく83Sのワンメイクで、なおかつスバルの1800ccエンジンのみ使用可能だったんですが、SJはオープンでマナティとか他のコンストラクターのクルマも走れていましたから。あと、SJは鈴鹿1000kmにも出られることを売りにしていたので、ライトスペースを設ける必要もあったのかもしれませんね。
たしかスバルの1800ccエンジンは、FJの1600ccエンジンほどには整備性良くなかったんじゃなかったっけ? それでSJですでに主流になっていた、マツダのロータリーをRJでも使えるようにして、しばらく両方ともほぼワンメイク状態になったような覚えが。クルマそのものは、結構バラエティに富んでいたんですけどね。あと当初は12Aだったのが、やがて13Bの使用が認められるようになりました。
位置づけとしては、当時盛んだったグラチャン(GC)の下って感じだったんですが、むしろF3とFJ1600の間を埋めるという、今でいうF4の役割を担うようになっていって。1990年にはJAFの地方選手権タイトルもかけられて、それに併せてRSという名称に改められました。けっこう活況ではあったんですけど、その3年後にF4ができたことで、ちょっと軸足がずれちゃった感は否めなくて、さらに時代が時代だったから、その前にフォーミュラトヨタとかもあったので、なおさら。
それでもプロを目指すんじゃなく、レースを長く楽しみたいというジェントルマンドライバーには支持され続けて、今日まで継続されていたわけです、ただし鈴鹿だけで。筑波では、いつの間にか開催されなくなったし、岡山じゃない、当時のTIでも開催されていたけど、あっという間。時代に流されていったという話では、エンジンも13Bから、次第にトヨタ3S-GEに移っていきましたし。
実は私にとって、いくつか思い出のあるカテゴリーでもありまして、最初に乗ったレーシングカーが83Sでした。ただし、コクピットに座っただけ(笑)。そりゃ乗ったって言えないか。余談ですが、初めてクルマを運転したのも同じ日で、しかも無免許。ただし、筑波のパドックでしたから、公道じゃないということでご容赦を。その時のクルマがコロナだったって、今時の不謹慎なオチまでつけておきます。
あと、鈴鹿1000kmでピットクルーをやったことがあったのもRSで、私は消火器担当。たしか知り合いのチームが出るっていうんで、「どうせ取材で来ているんだろう、ちょっと手伝ってよ」って感じで頼まれたんです。ちゃんとレーシンググローブはめていたんですけど、何かのタイミングの誤りで、エキゾーストからポンって出た火が、グローブについちゃって。でも、火傷しなくて済んで「ちゃんと耐火性なんだ」って実感した覚えがあります。
話は戻りますが、今も出ているクルマは、すべてオスカーSK5.2で、この5.2なる数字は平成5年のバージョン2を意味しているんですね。だから、26年モノということでもあって、こんなに長い間、現役のレーシングカーってないんじゃないかなぁ。その意味でも偉大なカテゴリーではありました。ええ、最後まで見守ります。
モータースポーツジャーナリスト。大学在籍時からモータースポーツ雑誌編集部に加わり、90年からフリーランスに転身。以来、国内レースを精力的に取材。本当に力を入れたいのは、非メジャー系レース。特にエントリーフォーミュラのスーパーFJに関しては右に出る者はいないが、並ぼうとする者もいないのが悩みの種?スーパーGT(主にGT300)とスーパー耐久は全戦取材を予定。6月14日生まれ、東京都出身。